mi regaloの魔女こと山田直美のストーリー
①スペインからの帰国~今日まで編
1987年に初めて行ったスペインが忘れられなくて、
その後2回のスペイン旅行を経て、
スペイン料理留学に旅立ったのが1994年の春。
初めはスペイン全土を1年かけて回り、
各地方のお母さんたちに家庭料理を教えてもらい帰国するつもりだったのが
あれやこれやで、4年近く滞在することになりました。
スペインに渡って、初めて友だちになったスペイン人の友人Amparoと
30年近く経った今ても、彼女と彼女の家族は私の宝物です。
(カスティージャ・イ・レオン州サラマンカから始まった料理留学)
スペインでは沢山の人と出会い、沢山の友人やお母さんたちに
スペインの料理を教えてもらいましたが、
本格的に調理の勉強がしたいと思い、
バスク、サン・セバスチャンにある、ルイス・イリサール料理学校で
夏期講習のディプロマを取得しました。
一緒に夏季講習を受けた仲間たち。先生はルイスとルイスの娘ヴィシィ。
この方がバスク料理の父、愛するルイス・イリサール。
私がサン・セバスチャンに行く度にバルに連れ出してくれます。
アルサックたちとともに、ヌエバ・コシーナ・バスカの運動を立ち上げた権威ある方ですが、
「実ほど首を垂れる稲穂かな」に象徴される人格者でもあります。2,022年天国に召されてしまいました😢
その後、同「ナザレ料理学校」では、クリスマスコースのディプロマを取得
最後はカスティージャ・イ・レオン地方、サラマンカにある
スペイン国立ホテル経営学校料理コースに入学し、
スペイン人の若者たちと勉学に励みましたが、
日本にいる父の様態が悪くなったという知らせを受けて、
卒業を待たずに帰国することになりました。
サラマンカにあるホテル経営学校、
昔は旅籠だったところを改装して学校にしました。
サラマンカを訪れるたびに、ここにも顔を出して
同級生たちの近況を聞きだしています!(^^)!
スペインで学んだこと、
スペインの大切な人たちに教えてもらったスペインの食文化を
一人でも多くの人に伝えたくて、
帰国後は、「ら・えすこーば」を発足し、
主婦やOL向けにスペイン料理の指導をスタートさせました。
そのころは、スペイン料理を教えている人が少なかったせいか、
品川区のカルチャーセンターの講師の職を得ることが出来ました。
休日を使っての料理指導、平日の夜は、留学前からの行きつけのバー、
代々木「エスカレラ」にて厨房での調理業務を行い、
その後はスパニッシュのシェフの紹介で、
吉祥寺のスぺイン料理「ベンガ・ベンガ」で調理補助という、
調理の現場を経験しました。
一方、時はデリカテッセンなどの中食産業の勢いが強かった時代で、
中食のメニュー作りという仕事が舞い込みました。
まずは、中華点心・惣菜の開発。ラーメン作りも手がけました。
続いて、北欧系の商社にて、
スカンジナビアの食材を使ったメニューの開発にも取り組むことになりました。
私は学生時代は美術を勉強していたのですが、
母が結婚後に学びに行っていた、当時五反田にあった「榊淑子料理教室」にも同時に入学し、
和洋中の基礎を学んでいたので、
色々なジャンルのメニュー作りは抵抗なく、受け入れることが出来ました。
その後は、渡西前のコネクションにより、大手食品会社の一員として
コンビニの商品の開発も経験し、食に関する一通りの経験を積むことが出来ました。
中食の経験を積みながら、もちろんスペイン料理の指導は引き続き行いました。
後に、シェリー酒の一人者となるシェリーソムリエとともに、
シェリーバー「シェリーミュージアム」銀座の立ち上げに携わり、
そのあと、スパニッシュスタイルのスタンディングバル
「さぼーる」を自らの手で飯田橋にオープンしました。
ハモン・セラーノの原木を置いてある店が少なかった時代、
近所の出版社や自動車会社に勤めるサラリーマンや学生さんなど
応援団はいてくれたものの
人件費や家賃が重くのしかかり、
オープンのために尽力下さった方々に申し訳ないと思いつつ、
8ヶ月でクローズ。
経営の厳しさを身をもって経験しました。
「さぼーる」クローズ後は、友人が働く居酒屋でアルバイト(‘◇’)ゞ
その間、新しくオープンする新業態の飲食店の本部で
メニュー開発担当者を探しているという情報が回ってきて
ご縁があってその職を得ることが出来ました。
新しいスタイルのアジアンバーガーショップ「Rバーガー」の
メニュー開発の責任者として、約1年近くの開発期間を有し、
六本木と表参道に新業態のバーガーショップがオープンしました。
初めて襲った生みの苦しみでした。
ただ、その時に日本初のアジアンバーガー開発者として、
「王様のブランチ」に出演したのはちょっぴり自慢したい部分ですが、
その時のあまりの挙動不審ぶりに、今でもビデオを見るたびに恥ずかしさがこみ上げてきます( ´艸`)
その後は、ケータリングのメニュー開発や子どもの食育の分野にも足を踏み入れました。
直観と興味の赴くままに突き進んできた料理家人生。
数々の経験が功を奏したのか、
その後はイベリコ豚に特化したデリ総菜「イベリコ屋」大阪天王寺店、神奈川橋本アリオ店でのメニュー責任者、
スペイン料理店、京都「べジョータ」では約10年間、
スペイン料理の勉強会を開くことになりました。
また、渡西前から培ってきた食材への知識は
商品の流通分野において役に立つことになり、
この8年間は、生産者やメーカーと食のバイヤーをつなぐ
コーディネータとしての役割を担っています。
小さい頃、母は私を芸能の道に行かせたかったようで、
ピアノとモダンバレエを習わせていたのですが、
当の本人は漫画やUMA関連の本が好きなオタクの不思議ちゃんでした(笑)
唯一お菓子作りというまともな趣味があったので、
母は私への芸の期待は捨て、
天火をプレゼントし、お菓子作りに没頭できる環境を与えてくれました。
子供の頃、祖父が削る削り節の音が目覚まし代わり。
子どもの頃から外食も多く、レストランや和食屋にも連れて行ってもらいましたが、
家庭では添加物を使わずに、
素材の味を活かした料理が食卓をにぎわせていました。
スペインで習った料理もそう。
「体は食べたもので出来ている」
母や祖父、スペインのママや友人、
先生たちから受け継いだそのスピリッツを大切に、
これからもシンプルでナチュラルな料理を多くの方に
お教えしていきたいと思っています。
mi regalo 山田直美